| 第12回 日蓮が一門(上) |
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| 2009年 9月 05日(土曜日) 00:00 | ||
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立宗の大精神は学会に燦然
ある時、戸田城聖先生は学生たちに語られました。 「一緒に仏法の真の探究者になるというのならば、私の本当の弟子になれ! よそから来て聴いているような態度は、実によくない」 師匠の教えを、まっすぐに実行してこそ真の弟子です。 御本仏・日蓮大聖人の仏法を、現代に勇敢に実践し、世界に広げゆく仏意仏勅の正義の教団──それが創価学会であります。 末法万年の大法戦 四月二十八日は、日蓮大聖人の「立宗の日」です。 建長五年(一二五三年)のこの日、大聖人は安房国(現・千葉県)の清澄寺で南無妙法蓮華経と唱え出され、末法万年の一切衆生を救いゆく広宣流布の大法戦を開始されました。 その時から即座に、諸宗の僧俗や権力者らが怨嫉(おんしつ)と迫害の牙を剥(む)いてきたのです。 大聖人は諸御抄で、御自身とともに戦う弟子たちによる和合を「日蓮が一門」と呼ばれております。 立宗以来、大聖人の大慈悲と正義の御人格をお慕いする門下が、各地で立ち上がりました。 妙法を護持した師弟は、四条金吾ら鎌倉の門下、富木常忍ら千葉方面の門下、さらに日興上人に有縁の富士一帯の門下の広がりとなり、遠く佐渡の地にも使命の人材が育っていったのです。 「一門」とは、師匠のもと、大勢の同志がともに励まし合い、守り合い、信心を根本に戦う広布の大連帯であります。現代的に言えば、妙法流布の「教団」であり「組織」でありましょう。 今日、創価の師弟によって、百九十二力国・地域に広がった「日蓮が一門」の大海原を御覧になったならば、大聖人はどれほどお喜びになられることでしょうか。 大聖人門下の精神 今回、拝読するのは「閻浮提中御書」の一節です。 「願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐(ぐんこ)に笑わるる事なかれ、過去遠遠劫(かこおんのんごう)より已来(このかた)日蓮がごとく身命をすてて強敵(ごうてき)の科(とが)を顕(あらわ)せ・師子は値(あ)いがたかるべし」 (御書1589ページ) 本抄は断簡(部分的に残された文書)であるため、対告衆などの詳細は不明ですが、この御聖訓は、大聖人門下としての根本精神を示されています。 「師子王」とは仏のことです。大聖人御自身の王者の御境涯を表現されています。 師匠は「師子王」である。ゆえに弟子たちも「師子王の子」となって戦え! 群れなす狐らなどに、断して笑われてはならぬ、との御遺誠であります。群れなす狐とは、ずる賢く正法を妬(ねた)み誹膀(ひぼう)し、広宣流布を阻(はば)もうとする者たちです。 人生は戦闘。仕事も戦闘です。大聖人は〝仏法は勝負〟と言われています。どう勝つか。青年は勝ち抜く力を持たなけれぱいけない。誰にも馬鹿にされない常勝の実力をつけることです。その根本が絶対勝利の信心です。 戸田先生は言われました。 「大聖人の一門は師子王の子だ。師子王の子であるならば、鍛えれば鍛えるほど、たくましくなる」 そのためには、どんな小さな事でも、油断せず、一つ一つ勝ち切っていくことが大事です。 師子王は「あり(蟻)の子を取らんとするにも(中略)いきを(勢)ひを出す事は・ただをな(同)じき事なり」 (同1124ページ)と仰せの通りであります。 敗北は不幸、勝利は幸福です。途中はどうあれ、最後は断じて勝つことです。 師子王に続け! 断固勝ち抜け! 邪悪に負けるな! 勝って勝って勝ちまくれ! これが大聖人の御心であられます。 そして御文の後半では、大聖人の。〝正義の一門”として歩む弟子たちの生き方を、端的に教えてくださっています。 君よ、「師子王の心」たれ
①師弟不二 ②不惜身命 ③破邪顕正 ④報恩感謝
戸田先生 弟子の道をまっすぐに進め
師と共に 師の如く その生き方とは── 第一に、「日蓮がごとく」すなわち「師弟不二」の信心です。大聖人の広宣流布の御闘争に連なり、妙法を唱えに唱え、弘めに弘め抜く姿勢です。 別の御書でも、大聖人は強調されています。 「日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」 (御書989ページ) 「かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」(同903ページ) このほか、「日蓮が弟子等」「我が弟子等」「日蓮が一類」「各各我が弟子」等と、繰り返し門下に呼びかけておられます。 一人ももれなく、恐れなく師弟不二の大道を歩み抜くように、強く打ち込んでくださっているのです。 大聖人ほど、御自身の御名を高らかに叫ばれ、「私と共に!」「私の如く!」と弟子たちを高めていかれた薫陶は、古今東西の宗教史にあっても希有ではないでしょうか。 それは、御自身が矢面に立たれ、三類の敵に心による怨嫉と迫害の嵐を一身に受けられるという御覚悟の上から、あえて師子吼された正義のが音声でもあられました。 そのことによって、弟子たちを、強く賢く鍛え上げ、正義と勝利の人生を飾らせてあげたいとの大慈悲であられたと拝されます。 譬えて言えば、師は〝針〟です。弟子は〝糸〟です。針に続いた糸によって、完全なる総仕上げができるのです。師弟の栄光を、厳然と後世に残しゆくことは、弟子の使命であり、責任なのです。 師匠と共に! 師匠の如く! この一点こそ、広宣流布を成し遂げる根本であります。この「師弟不二」の精神を失えば、正義が勝ち栄えていくことはできない。また、未来への継承も成し得ません。 師の御構想を、どう実現していくか。常に祈り、求め、思索し、師匠の心をわが心として戦っていく信心こそ、まことの師弟不二であります。 全生命を捧げて 第二に、「身命をすてて」つまり「不惜身命」の勇気です。 正法のために、命も惜しまず戦い抜く決然たる覚悟こそ、真正の弟子の証しです。 永遠不滅の妙法に生き切れば、わが生命も永遠不滅に輝きわたる。 大聖人御自身が「死身弘法(ししんぐほう)」「忍難弘通(にんなんぐつう)」を貫かれました。師匠とは、常に弟子の模範となって先頭を走ってくださる存在です。 その師匠に、無我夢中でつき切っていこうと精進するのが、弟子の道であります。 格好主義ではいけない。たとえ自分が傷を受けても、師匠だけは絶対に傷をつけてはならない。自分が難を受けて立ち、師匠を厳護しよう。師匠が命がけで創ってくださった「一門」を栄えさせる礎になろう。この弟子の決定(けつじょう)した祈りと行動にこそ、厳粛な師弟の血脈が流れ通うのです。 逆に、恩知らずに踏みにじったならば、仏法の報いは峻厳です。 戸田先生は、「広宣流布は一人の青年が命を捨てれば必ずできる」と叫ばれました。ゆえに、私はその「一人の青年」になりました。 昭和二十五年の夏八月、戸田先生の会社の業務が停止する危機の中、私は日記に記した。 「万難来るとも恐るること勿れ 地涌の菩薩なれば 汝よ」 「吹かば吹け 起つならたてよ 荒波よ 汝の力と吾れと試さん」 戸田先生ほどの偉大な師匠にお仕えできた私の喜びと誇りは、言葉には尽くせません。私はやりました。それはそれは、全生命・全財産を捧げる思いで尽くし抜きました。自分のことも、わが家のことも、すべてを犠牲にする決心でした。その一念で、今日の世界的な大創価学会とすることができたのです。 世の深層に潜む敵 第三に、「強敵の科を顕せ」とは「破邪顕正」の闘争です。仏法と民衆の怨敵に対して、敢然と破折する言論闘争です。 「強敵」とは本抄では天台密教等を指すと拝されますが、広く大聖人一門を妬み、迫害を企てていた諸宗や権力者ととらえてよいでありましょう。 大聖人は、「此れをせめずぱ大日経・法華経の勝劣やぶれなんと存じていのち(命)をまと(的)に・かけてせめ候なり」(御書308ページ)とも仰せです。 何と甚深(じんじん)の御心でしょうか。当時の宗教界の誤った権威に対して、御自身の御命を″的〟に懸けて責め抜かれました。 そして、世の中の深層に潜んで民衆の心を支配し狂わせていた強敵たちの科(とが・罪悪)を鋭く暴き出され、打ち破っていかれたのです。 戸田先生は語られました。 「大事なときに、強敵を打ち倒す歴史を築いていくのだ。そのために、責任ある闘争をしていかなければいけない。邪悪を糾(ただ)して正義の師匠をお護りすることは、すごい福運がつくんだよ。そこに、次の学会の発展の因が刻まれるのだ」と。 広宣流布を妨げる、いかなる悪も断じて放置しない。「まぎらはしくば実教より之を貴む可し」(同503ページ)とも仰せです。この勇気ある破邪顕正の戦いによってこそ、真実の味方が広がってひくのです。このたゆみなき進歩と前進なくして、立正安国はできません。 値(あ)い難き師と共に戦う栄光
不思議なる宿縁 第四に「師子は値いがたかるべし」。これは「報恩感謝」への指標と拝されます。 「師子」とは、すなわち日蓮大聖人の御事にほかなりません。 何ものごも負けない、何ものをも勝ち越えていく師子王の真髄の境智を、全人類に示してくださったのが大聖人であられます。 この大聖人の仰せ通りに、創価の父・牧口先生と戸田先生は立ち上がられました。これが我らの師匠です。 偉大な師匠と同じ時代に生まれ、同じ理想を目指し、同じ祈りで邁進しゆく人生ほど、素晴らしいものはない。ありがたいものはありません。私は、戸田先生にめぐり会い、心からそう感じました。 師匠との不思議なる宿縁に対する「報恩感謝」は、今もって尽きることはないのであります。 ──以上の四つが、一閻浮提第一の妙法を広宣流布しゆく「日蓮が一門」の誉れある大精神です。「過去遠遠劫より已来」の我らの正道であります 民衆の屋根となり 大聖人は、御自らの身命を賭して、正義の師弟の一門を守りに護り通されました。 門下に宛てた御手紙の数々には、大聖人の深い慈悲の御心があふれております。 師匠が、弟子たちの健康・長寿・成長・幸福・勝利を、どれほど深く祈ってくださっているか。一人一人の性格、長所と短所、健康や生活の状態・・・弟子たちが思っている以上に深く見通されている。そして、すべてを一念に納め、絶対勝利の道を開かせるよう祈り励まし、導いていかれるのです。それこそが仏法の「師の徳」です。 戸田先生はよく、佐渡流罪の折の大聖人の御心を偲ばれておりました。 「必ず門下を勝たせなければならない。一人も残らず弟子を幸福にしなければならない」──この炎のように燃え立つ御心であられたと拝察されていたのです。 師匠の大恩は、弟子たちの想像も及びません。 「日蓮が一門」には、御本仏の慈悲と正義の大生命が、すみずみにまで漲(みなぎ)っている。その和合僧団そのものが、主師親の三徳を具えた御本仏の人法一箇(にんぽういっか)の大生命なのです。 広宣流布を実現しゆく「日蓮が一門」──その正統中の正統こそが、学会であります。 この尊極の学会を守り、同志を護るため、私は生命をたたきつける思いで、一心不乱に戦ってまいりました。 恩師が「戸田の命よりも大事」と言われた学会の組織を厳護し抜いてきました。一千万の民衆の〝屋根〟となり〝傘〟となって、私は創価の大城を守りに護り抜いてきました。 「師弟不二」の分身として! 「不惜身命」の闘士として! 「破邪顕正」の旗手として! 「報恩感謝」の弟子として! 今回の「閻浮提中御書」の御金言に寸分も違わず、創価の師弟は日蓮仏法を行じ抜き、世界に広宣流布してきたのです。これからも、我らは「師子王の心」で勝ち進みましょう! (聖教新聞 2009.04.22より) |
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| 最終更新 2009年 9月 05日(土曜日) 13:29 |


