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恩師の指導を語る 〈八〉 印刷 Eメール
2009年 7月 15日(水曜日) 22:30
それは、昭和三十二年の八月十四日であった。
戸田先生と私は、軽井沢のホテルの一室で語り合った。
「私の病気も、どうも軽くはないようだ。
皆に元気な姿を見せるよう、最大の努力をしている」と先生は語られた。
その先生の晩年の静養先となった懐かしい建物を、先日、私は妻と二人で見つめ、あの日の深い悲しみと決意を確かめ合った。
その時、先生が厳しく言わんとされた趣旨の一つは、「アメリカ民主主義の父」として名高いジェファソン第三代大統領の洞察に等しい言葉だ。
――人類を啓発し変革しようと行動する人々には、共通の運命が待っている。
それは、聖職者と権力者の両方から嫉妬され、犠牲にされることだ――。
私の胸から離れぬ言葉である。
先生は、「何とか元気になって、故郷である北海道の『若人の祭典』に出たいんだ」と言われた。
当時は、炭労事件の直後でもある。
いつも敵に狙われていた戸田先生は、その北海道の体育大会の諸準備を、一言、私に託された。
「青年たちの若々しい乱舞を見たいよ。
事故がないように、事件がないように、大作、一切を頼むよ」
私は、間髪を容れずに申し上げた。
「すでに万全の態勢を整えてあります。
安心して北海道に凱旋していただけます」
私は、先生の御心境を察知して、北海道の同志と綿密に連携をとり、二重、三重に手を打ってから、軽井沢に馳せ参じたのである。
「さすがたな、ありがとう」
先生は、会心の笑みを浮かべてくださった。
私が伝統の軽井沢の研修会に参加し、全力を注ぐのは、最後の夏の戸田先生との語らいが、軽井沢であったからだ。
軽井沢は、師弟不二と生死不二の忘れ得ぬ厳粛なる思いで深き大地なのである。
ともあれ、皆が健康になって、溌剌と広宣流布のために心身を鍛える天地だ。
そして、生きて生きて生き抜いて、師弟不二の大勝利を打ち立てていく大城なのだ。
 

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