|
2010年 4月 01日(木曜日) 08:19 |
五十音村に住む〝あ〟から〝ん〟までの文字たちが言った。「五十音で唯一、音を持たない、小さい〝つ〟は役立たずだから要らないな」▼その日から、小さい〝つ〟の姿が消えた。村は大混乱。「かえった(帰った)」が「かえた(変えた)」になってしまう。「うったえる(訴える)」は「うたえる(歌える)」、「いった(行った)」は「いた(居た)」・・・絵本『小さい〝つ〟が消えた日』(三修社)の話だ ▼一見、無駄と思えても、存在する深い意味が必ずある、と物語は教える。人生勝利への広宣流布の活動にも一切、無駄はない
▼ある友が転入してきた。多忙な仕事を理由に、信心から遠ざかっていると聞いた。地元同志が何度となく足を運ぶも、会えない日が続く。1年後の座談会。会場に見慣れない男性。同志が声をかけた。「初めまして」。彼は答えた。「初めてじゃありませんよ。あなたでしょう、ずっと、置き手紙で私を励ましてくれたのは。だから、『お待たせしました』です」。皆は喝采で、彼を歓迎した▼同志のもとへ足を運ぶのは、連絡などのためだけではない。生命の触発によってしか育まれない、幸福への生きる力を届けるためなのだ。出会いの季節。新たな友と幸の歩みを進めたい。(城) 聖教新聞 2010-03-31 より |