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2010年 6月 22日(火曜日) 07:53 |
夏目漱石の小説『行人』の一場面。〝私の生死は、自分を超越した神に任せている〟と男が語る。それを聞いた相手は突然、平手で彼の頬を打つ。「何をするんだ」と気色ばむ男に、彼は答えた。〝それ見ろ。やっぱり怒るじゃないか〟▼〝神に身を委ねる〟と胸を張っても、実際は些細なことに動揺し、感情を露わにする。そんな〝信仰〟は現実の平手打ち一つで、すぐに馬脚を現す。漱石は、地に足の着かない信仰論議を痛烈に難じた
▼日蓮大聖人は、諸宗と法論するための問答集を著された(「早勝(はやがち)問答」)。例えば、大聖人が「念仏無間」と訴える根拠は法華経にあるのか、との設問。大聖人はこれに対し、すぐに文証を示さず、まず〝文証があれば、自身の主張を認めるのか〟と質(ただ)す。相手が言い逃れする余地を最初に塞いだ▼重ねて「法華の文を尋ぬるは信じて問うか信ぜずして問うか」と詰問。議論のための議論に陥(おちい)らぬよう、相手の覚悟を促す。信なき言論は煙のごとし。大聖人が烈々たる気迫と大情熱で、正義を訴えられる様子が目に浮かぶ ▼対話は、人格と人格の触発の場。相手を納得させゆく真剣さと誠実さに貫かれてこそ、有意義な語らいとなろう。友の心を揺さぶる「確信の対話」を、今こそ広げていきたい。(弘) 聖教新聞 2010-06-22 より |