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Home 忘れ得ぬあの瞬間 ①大阪大会
①大阪大会 印刷 Eメール
2009年 8月 03日(月曜日) 23:02
何があっても、師匠を護り抜く

「思うままに、私に聞いてください」──大阪大会の席上、戸田第2代会長は質問会を通して縦横無尽に日蓮仏法の魂を語り、関西の同志に納得と勇気を与えた
昭和32年(1957年)7月17日──。
壇上の恩師は、約2万人の同志に語りかけていた。この日、中之島の公会堂は雷雨に打たれ、震えた。
2週間前の7月3日。池田青年室長が事実無根の冤罪で、大阪府警に出頭。
この前年に行われた参議院選挙で、学会の推選候補が議席を得た。
池田室長の不当逮捕は、無名の民衆勢力の躍進に怯えた、小心の権力者たちによる横暴であった。
デマを捏造し、自分たちに都合のよい話をでっちあげる。陰湿な暴力を繰り返す・・・それは権力の恐るべき「独善」であり、日蓮大聖人が仰せになったとおりの「迫害の構図」である。
大阪地検は、”罪を認めなければ、戸田会長に手をかける”と恫喝(どうかつ)した。
無実の罪を認めれば、学会の正義はどうなるのか。しかし、お体を壊されている戸田先生を、酷暑の牢獄に入れさせることなど、断じてあってはならない・・・人知れぬ独房での呻吟(しんぎん)の果てに、池田室長は、一身に責任を負い、裁判で真実を明らかにする道を選んだ。
信心によって「三類の強敵」を呼び起こしたのである。ゆえに、信心がなければ、師弟がなければ、乗り越えられない難であった。鮮やかな「創価学会大阪大会」の文字が躍る看板は、有志が徹夜で作製。西日本を中心に会場の内外合わせて約2万人が集った。
出獄を喜ぶ同志に囲まれて歩む池田室長の隣には、微笑みをたたえた香峯子夫人が。激怒した関西の友は、大阪府警と大阪地検への抗議の意志を、17日の「創価学会大阪大会」で爆発させた。
同日の正午過ぎ、池田室長が大阪拘置所から出所。
午後、戸田第2代会長が自ら大阪入り。戸田会長は先んじて開かれた7月12日の「東京大会」で、「学会始まって以来の大戦(たいせん)」「おめおめと負けてたまるものか!」と師子吼されている。
──愛しい弟子たちに、いったい何をするのか! わが弟子よ、強くあれ!
これが、恩師の切なる思いであった。
池田室長は大阪大会で、”最後は正しい仏法が必ず勝つ”と叫んだ。
──何があっても、師匠を護り抜く! 指一本、触れさせてなるものか!
これが、弟子の必死の一念であった。
恩師亡き後も法廷闘争は続いた。そのなかで、昭和35年(1960年)5月3日、全同志が待ちに待った池田第3代会長が誕生。
昭和37年1月25日に無罪判決。翌月8日、「控訴なし」の電報を、池田室長は世界広布旅の途上、エジプトで受け取った。
今、関西婦人部のリーダーたちは異口同音に語る。
「池田先生が戸田先生を護り、関西の牙城を護り、世界の創価学会を護ってくださった。それが7・17『大阪大会』の意義です。私たちは、永遠にこの歴史を忘れてはなりません」
師を護る。権力が牙を剥こうとも、その時こそ怯(ひる)まずに、師を護り抜くのだ。
創価の師弟を破壊することは、何ものにも不可能である!──大阪大会は、この仏法の真実を満天下に知らしめる、忘れ得ぬ瞬間となった。

(聖教新聞 2009.05.17より)
最終更新 2009年 8月 04日(火曜日) 07:32
 

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