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Home 忘れ得ぬあの瞬間 ②不二の弟子
②不二の弟子 印刷 Eメール
2009年 8月 04日(火曜日) 11:53
誰が勝利を開くのか

昭和33年3月1日、大講堂落慶の諸行事を終えて。大講堂を出た戸田会長は、まず音楽隊のもとへ足を運び、自ら太鼓を打ち鳴らした。すかさず池田名誉会長の雄渾の指揮で、学会歌の演奏が始まった。多くの同志に囲まれ、王者の風格で歩みゆく戸田第2代会長。
師の右腕に、そっと手を添え、足元に気を配りながら随行する、若き池田名誉会長。
昭和33年(1958年)3月1日の午後。
大講堂の落慶法要の諸行事を終えた一瞬を、カメラはとらえた。
勇壮な学会歌を響かせて、音楽隊が続く。金管楽器も大太鼓も、ありったけの力を振り絞る。
青年たちが歌う。真剣な瞳で、師を見守る。
師は58歳。
愛弟子は30歳。
かつての過酷な獄中闘争で、体がボロボロになっていた師。ひとたびは病に伏しながらも、信心の力で奇跡的に回復し、皆の前に姿を現した。
師は厳命した。
「大作、絶対に、私の側から離れるな。
いいか、四六時中、離れるな!」
錚々(そうそう)たる来賓を迎えた落慶法要。
戸田会長は烈々と、宗教界の迷妄を破し、自界叛逆の世を憂え、民衆を救おうと師子吼した。
戸田会長の腕を支え、名誉会長がエレベーターに乗り込んだ。
師は鋭く言った。
「これで、私の仕事は終わった。私はいつ死んでもいいと思っている。
大作、あとはお前だ。頼むぞ!」
厳粛な眼差しだった。
そして3月16日には広宣流布の記念式典。
恩師は最後の最後まで、邪悪を糾(ただ)し、戦う心を鮮烈に打ち込んだ。
恩師とともに歩む、名誉会長の胸に去来していたものは何であったか。
その深き覚悟は、師の逝去後の人知れぬ激闘に厳然と刻まれている。
4月2日、戸田会長が霊山に旅立った。不二の弟子は日記に綴った。
──先生の残せる、分身の生命は、第二部の、広宣流布の決戦の幕を、いよいよ開くのだ。われは立つ──。
同志は悲嘆に暮れた。
評論家は書き立てた。
”これが致命傷となって、創価学会は遠からず空中分解をはじめないともかぎらない”
5月3日の本部総会。名誉会長は「七つの鐘」の未来構想を発表。皆の心に太陽が昇った。
誰が、同志を励まし、希望を贈るのか。
誰が、新しい勝利の道を開くのか。
翌34年には、”東京の戦い”も控えていた。恩師が自ら果たそうとした”雪辱戦”である。
その指揮を、「総務」に就任した、若き名誉会長が執った。
東京中、いな、日本中を奔走した。一人一人に勇気の火を点した。
「師子の道を歩もう」「幸せになるために、信心で戦おう」「勝って師匠にご報告しよう」
東京は見事、大勝利!全同志が喜びに沸いた。

(聖教新聞 2009.05.25より)
最終更新 2009年 8月 04日(火曜日) 12:03
 

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