top
logo


Home 忘れ得ぬあの瞬間 ③第3代会長に推戴
③第3代会長に推戴 印刷 Eメール
2009年 8月 05日(水曜日) 12:10
胸に響くは師の叫び

昭和35年(1969年)4月19日、旧・学会本部1階の第1応接室で。池田名誉会長は当時の日記に「戸田会長に、直弟子として育てられたわれだ。訓練に訓練をされてきたわれだ。なんで戦いが恐ろしかろう──ご恩を返す時が来たのだ」と東京・新宿区信濃町の旧・学会本部は、3階建ての洋館だった。
1階の第1応接室。
昭和35年(1969年)4月19日──第3代会長推戴の際の池田総務の写真が残っている。
恩師亡きあと、この部屋で、池田総務は、広宣流布の実質的な指揮を執った。総務のいる場所が「本陣」であった。
理不尽な墓地問題への対処。伊勢湾台風の被災地への支援。時間をこじあけ、渾身の激励行。全国各地を飛び回る。
総務が本部に来ると、みるみる活気づく。応接室に青年部が集まり、打ち合わせが始まる。あらゆる行動を、総務と一体の青年部が担った。
夕方になると、多くの若き友が池田総務の指導を求めて、この応接室に詰めかけた。真心と確信光る励ましが続いた。
さまざまな来客とも、ここで会った。学会を護る外交戦を展開した。
旧本部の1階には、ピアノがあった。池田総務は、時に「荒城の月」や「人生の並木道」を弾いて、友を勇気づけた。
いつ桜が咲き、青葉が茂り、紅葉したか。それさえも、わからないような激しい日々。
回転する渦の中心に、池田総務がいた。
総務がいなければ、広布の戦は進まず、新たな展望も開けなかった。
その一切を、牧口初代会長、戸田第2代会長の慈顔(じがん)が見守っていた。
会長不在の2年間の空白に、多くの同志が、どれほど、もどかしい思いを抱いてきたか。
やむにやまれぬ声は、青年部からあがった。なかんずく、先駆けたのは、埼玉であった。
「第3代会長の推戴を急げ! 学会の首脳たちは何をしているのか!」
真剣な声は、関西からも、わき起こった。婦人部にも広がった。
一番、戸田先生にお仕えした人が、会長になるべきだ。学会のために一番苦労した人が、後を継ぐべきだ。それは何といっても池田先生だ。先生以外に誰がいるか──。
しかし、事は重大である。会長職は御仏意でなければ、なしえない。
恩師の3回忌が終わった。理事室は池田総務に、会長就任を何度も要請。総務は固辞した。
当時、事実無根の冤罪である大阪事件の法廷闘争も続いていた。
4月14日。小泉理事長は意を決して言った。
「偉大な第3代会長を全魂込めて守れ! 3代を中心に生き抜け! そうすれば、広宣流布は必ずできる。これが戸田先生の遺言でした」「会長推戴は、広布を願っての全幹部の要請です。お引き受けください」
総務が「それほどの皆さんのお話なら」と言いかけた瞬間、理事長は間髪をいれず、「よろしいのですね! ありがとうございます」と最敬礼し涙の握手。皆に告げると大歓声があがった。
19日、学会本部で緊急の全国幹部会。池田総務があいさつに立った。
胸に響くは師の叫び。
「恩師・戸田城聖先生のご精神は、ただ広宣流布ということでありました。あくまでも前会長の思想を実践していく!」
遂に夜明けが来た!
22日付けの聖教新聞に大見出しが躍った。「創価学会第三代会長決まる」「池田総務を推戴」。喜びが列島を駆け抜けた。

(聖教新聞 2009.06.24より)
最終更新 2009年 8月 05日(水曜日) 12:22
 

bottom

Powered by Joomla!. Designed by: Free Joomla 1.5 Template, ftp transfer. Valid XHTML and CSS.