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開かれた民衆仏法を世界は希求 印刷 Eメール
2009年 12月 28日(月曜日) 09:29
日蓮大聖人の仏法は、万人が平等に成仏できる「太陽の仏法」である。大聖人の仰せ通りに仏道修行に励めば、誰もが仏の境涯を得られる「慈悲の大法」である。ところが、信徒が大聖人に直結されては都合が悪いと考える者たちがいた。〝衣の権威〟で信徒支配を企んできた日顕宗の坊主だ。
今から19年前の1990年(平成2年)12月27日、宗門は宗規改変を口実に池田名誉会長の法華講総講頭を一方的に罷免。陰で謀議をめぐらしてきた「C作戦」を実行に移したのである。

権威を盾に信徒を脅す宗門

宗祖の御遺命である広宣流布を実現すべく、世界宗教にふさわしい内実を整えるため、学会は宗門に対し「世界に開かれた宗門になってほしい」「権威主義を是正し、信徒蔑視を改めてほしい」「僧侶の堕落を戒めてほしい」等と望んできた。至極、当然の要望であった。
ところが、これに対し、宗門は話し合いを拒否。大功労者を平然と切り捨てるという暴挙に及んだのである。
日顕自身〝学会員のうち20万人が本山につけばいい〟と漏らしていたように、宗門の意図は学会員の信心を動揺させ、隷属させることにあった。それは信仰とはまったく無縁の謀略であり、信徒の供養や聖職者の権威という〝既得権益〟への浅ましい執着による所業だった。
そのために、僧侶、なかんずく法主を絶対化し、僧侶に従わない信仰では成仏が叶わないかのように信徒を脅した。しかし、万人の成仏を説いた大聖人の仏法に、僧侶の介在など必要ないことは明らか。まして、堕落坊主などもってのほかだ。宗門の愚行は、識者も「すべての人間に仏性がある、その豊かな可能性を閉ざしたり、切ったりしてはならないという日蓮大聖人の教えに、全く逆行したもの」(米デラウェア大学、デイビッド・ノートン博士)と指摘する通りだった。

どちらが大聖人の正統か

目覚めた民衆は〝衣の権威〟などにだまされなかった。広宣流布の大指導者、名誉会長の指揮のもと、師弟不二の前進を続けた創価の連帯は以来、192カ国・地域に大発展。一方、日顕宗の信者数は全盛期の2%にまで落ち込んだ。
どちらが大聖人正統の教団なのか――正邪は歴然だった。
世界は、開かれた民衆仏法を希求している。宗祖の太陽の仏法の慈光が地球を包む時代を、私たちの勇気の対話でさらに開いていきたい。


(聖教新聞 2009.12.26より)
最終更新 2009年 12月 28日(月曜日) 09:37
 

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