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Home 池田名誉会長スピーチ SGI代表協議会での池田SGI会長のスピーチ(上)
SGI代表協議会での池田SGI会長のスピーチ(上) 印刷 Eメール
2009年 7月 14日(火曜日) 13:54
勇敢に「一歩」を踏み出せ! 勝利は最後に待っている!!

歴史は求道の一人から!!
今、190カ国地域に「幸福の花」が満開
信心即行動! 福徳は三世に

一、千里の道も一歩から始まる。
人生の道、幸福の道、広宣流布の道もまた同じである。
きょうも一歩!
きょうも前へ!
何があろうと、断じて歩みをとめない。そうすれば、勝利は最後に待っているものだ。
途中には、いろいろなことがあるだろう。
苦しい時もある。しかし、負けてはいけない。退(しりぞ)いてはならない。
朗(ほが)らかに、希望の歌を歌って進みゆくのだ。
悪逆(あくぎゃく)な人間が出たならば、「あの愚か者よ!」と叫びながら、正義の言論で打ち砕けばよい。
わが道を進みゆけ!
所願満足(しょがんまんぞく)の自分自身を堂々と築くのだ。
そして最後に勝とう!
すべてに!
すべての戦いに!
ともに楽しく進みましょう!(大拍手)
一、遠路はるばる来日されたSGI(創価学会インタナショナル)の同志の皆さま、ようこそ!
地球の反対側から、お見えになったブラジルの皆さまをはじめ、アメリカの皆さま、カナダの皆さま、ドイツの皆さま、さらにスペイン、香港の皆さま、本当に、ご苦労さま!
皆さんのお元気な姿を見て、私は涙が出るほどうれしい。
偉大なる「求道(きゅうどう)の王者」を、私は心から賞讃したい(大拍手)。通訳の皆さま方、また、役員の方々も、ありがとうございます(大拍手)。

わが忘れ得ぬブラジルの友
一、1984年の2月、私は念願がかなって、18年ぶりに、ブラジルを訪問した。今も、あの日のことが、鮮やかに思い出される。
愛する、心から愛するわがブラジルの同志は、広大な全土から、サンパウロのブラジル文化会館を目指して駆けつけてくださった。
なかでも、一番遠方のメンバーは、ブラジル北部、パラー州ベレン市の友であった。
アマゾン川の河口の町であるベレン市からサンパウロまでは3000キロ以上。じつに、55時間もバスに揺られ続けての道のりである。
あの日、ブラジル文化会館に晴れ晴れと集(つど)われた同志と記念撮影したことは、生涯、忘れ得ぬ思い出である。
現在、この遠方のべレン市にもパラー文化会館が誕生し、創価の人間主義の広場として、共感と信頼を広げておられる。
まさしく、“一波”は“万波(ばんぱ)”となったのである。

「94年間、待つていました」と
一、ブラジルといえば、「ブラジル文学アカデミー」のアタイデ総裁とお会いしたことも懐かしい。
93年2月のことである。当時、94歳の総裁が、空港で、私の到着を2時間も前から待っていてくださった。
〈総裁の体を気づかい、SGIの友が、別室で休んでくださいと言うと、総裁は、こう語った。
「私はもう100年近くも生きているのです。94年間も池田会長を待っていたのです。1時間や2時間、なんでもありません」〉
総裁は、お会いするやいなや、私の手を取り、「池田会長、いっしょに戦いましょう。力を合わせて、人類の歴史を変えましょう!」と力強く語られた。
あの烈々(れつれつ)たる眼光は忘れられない。「人権と人道の巨人」であり、黄金の偉大な人生を歩まれた方であった。
海外には、こういう本物の闘士がおられる。
一、きょうはカナダのイズミ議長も参加されている。
私は60年10月、世界広布の第一歩の旅の途上、初めてカナダを訪れた。メンバーのいないはずのトロントの空港で、待っていてくれたのが、イズミ議長であった。
当時、イズミさんは、未入会であったが、日本のお母さんからの手紙で、私たちの来訪(らいほう)を知り、ただ一人、空港に駆けつけてくださった。
やがて入会し、たった一人から、懸命に折伏に歩かれ、今日のカナダの大発展を築かれたのである。
お母さんも、さぞかし、お喜びのことであろう。

法を求めよう!法を弘めよう!
一、思えば、SGIが発足した1975年1月26日、アメリカ・グアムでの平和会議には、51カ国・地域から同志が集ってくださった。
30年前のことである。航空路も今ほど整っておらず、移動ひとつとっても大変であった。
その時代に、アフリカからも、南米からも、地涌(じゆ)の友は勇み集ってくださったのである。
遠路をものともせず、「法を求めよう」、そして「法を弘めよう」 ―― この心こそ、SGI発足以来の伝統である。
日蓮大聖人は、遠く険(けわ)しい旅路を越えて訪ねてきた女性の門下を最大に讃嘆され、「釈尊の十大弟子の一人、目連尊者が全世界を瞬時に飛び回れるような大境涯になったのは、過去世に、仏法を求めて千里の道のりを通ったからなのですよ」(御書1222ページ、趣意)と励ましておられる。
今回の研修で来日された皆さん一人ひとりにも、さまざまなご苦労がおありであったろう。
旅費や日程のやり繰りも大変である。
そのなかを、真剣に仏法を求めて、足を運ばれる尊き一念。まさに「信心即行動」の模範のお姿である。その功徳は絶大である。
海外から日本へ研修に来られることが、どんなに大変か。
その真剣なる心は、700年前、遠い佐渡の大聖人のもとへ、海や川を渡り、深い山々を越えて、危険に満ちた道を歩き通していかれた門下の方々の信心の志にも通ずると私は思う。
皆さま方の強く深き、尊い心を、大聖人は、どれほど讃えておられるか。
その功徳と福運は、広大無辺であり、生々世々、子孫末代をも包みゆくことは、まちがいない。
仏法は、三世を貫く絶対の生命の法則であるからだ。

世界を結べ! 平和のために! ――
「対話」こそSGIの魂
《トインビー博士》学会発展の要因は「高い理念」と「強い確信」

「日本の平和運動を学会がリード」
一、さて、SGIが発足した30年前、世界のメディアは、どのように創価の前進を見ていたか。
75年1月18日、SGI発足の1週間ほど前のことである。
世界最大の通信社の一つ、「AP通信」が、創価学会と私を紹介する記事を、全世界に打電した。
この記事では、私が、アメリカのキッシンジャー国務長官、ソ連のコスイギン首相、中国の周恩来総理らと、相次いで会見したことなどに触れ、グアムでSGI発足の会議が行われることに言及している。
〈記事は、著しい経済成長を遂げた日本のイメージを反映して、次のような書き出しで始まる。
「かつてのトランジスタのセールスマンの国、日本が、世界で最も数少なく、最も貴重な商品の一つ――平和――を売るスーパー・セールスマンを生み出した。
その人は日本に公称1000万人の会員を、また海外に41万4000人の会員を持つ仏教徒団体である創価学会会長、池田大作氏である」
さらに、こう綴られている。
「池田氏は、核廃絶および戦争反対の民衆運動を主唱しているが、より長期的には各国間の教育・文化交流に平和への望みを託している。
同時に、池田氏は、外交政策の手段としての戦争を、憲法により禁止している唯一の国である日本が、平和運動に、より深く関与するよう主張している」
「2万人もの会員による会合を、幾十となく主宰する一方、創価学会の運営や宗教・文化活動にもたずさわる池田氏は、見たところ、疲れを知らないようだ」〉
すでに30年前、世界を代表するメディアが、創価学会の目的と歴史と行動を取材し、平和を築く民衆運動として深く注目していたのである。
一、AP通信の記事は、歴史学者のトインビー博士が小説『人間革命』の英語版に寄せてくださった前書きを引用して、こう結ばれていた。
「絶望と幻滅の社会の中で、小さな組織であった創価学会は高い理念を掲げ、理念達成に強い確信を持っていた。
これを裏づけるように、戦後30年で、創価学会は現在の組織へと大きく発展したのである」
SGIが発足した年は、第2次世界大戦の終結から30年の節目に当たっていた。
その日から、また30年の時を刻んだ。
この間、創価の平和と文化と教育の大連帯は、全世界に広がった。
まさしく、トインビー博士が指摘されていたように、SGIが発展したのは、「高い理念」と、その理念の達成への「強い確信」があったからである。
私たちSGIの同志は、世界広宣流布、そして世界平和実現への確信を、いやまして強め、深めつつ、今再びの前進を威風も堂々と開始してまいりたい(大拍手)。

全世界の国々と平和友好の絆を
一、SGIが誕生した75年は、「東西冷戦」の真っただ中である。
当時、日蓮大聖人の仏法を持(たも)ったメンバーがいるのは、いずれも「西側」と呼ばれた国々であった。
しかし、当時のソ連や中国をはじめ、「東側」とされていた国々と友好を結んでいかなくては、どれほど平和を叫ぼうとも、たんなる「絵に描いた餅」に終わってしまう。私は、そう考えていた。
とくに当時の東アジアの情勢を考えたとき、中国と日本の友好こそが、平和への試金石(しきんせき)であった。
だからこそ私は、日中の「国交正常化」はもとより、それよりも一歩進んだ「日中平和友好条約」の締結を、いち早く提言したのである。
国交正常化を訴えた翌69年には、小説『人間革命』(第5巻「戦争と講和」の章)の中で、“日本は、世界の国々と平和友好条約を結ぶべきだ。
なかんずく、中国との平和友好条約を最優先すべきだ”と訴えた。
戦争状態の終結を宣言するだけではない。未来へ友好を維持しゆくために、条約の締結が不可欠だったのである。

日・米・中・露の指導者と対話
一、その後、74年5月に、私は初めて中国を訪れた。続いて9月にはソ連へ飛び、コスイギン首相と語り合った。
そして、SGI発足の1カ月前である74年12月には、周恩来総理と会見した。
会見当時、たしかに日中間の距離は、以前に比べると、大きく狭(せば)まっていた。
すでに航空協定、貿易協定、海運協定が両国の間で結ばれていた。
大事なのは「その先」である。
重病を押して、私との会見に臨んでくださった周総理も、「平和友好条約の早期締結を希望します」と言われた。
条約の締結は、総理ご自身が、30歳も若い私に託された遺言でもあったのである。
一、年が明けた75年1月13日のアメリカ。
小雪が舞うワシントンで、私は、国務長官であったキッシンジャー博士と会見した。
場所は国務省の長官執務室。
その語らいのなかで、博士も、日中平和友好条約の締結について、「賛成です。やったほうがいい」と断言された。
そのことを、私は、同じ日にお会いした大平正芳元首相(当時、大蔵大臣)にもお伝えした。
私が「社会主義の中国と資本主義の日本が『平和友好』を宣言することは、画期的なことです。人類は、いつまでも『冷戦』を続けている時代ではありません」と申し上げると、大平氏は「それは、その通りです。地球はひとつの時代です」と、はっきり言われた。氏は「友好条約は、必ずやります」と述べられたのである。
さらに、この年の4月、私は、北京で鄧小平副首相とお会いした折にも、友好条約について意見を交換した。
その際、鄧小平副首相から、当時の三木武夫首相への伝言も託された。
そして、その3年後の78年8月、ついに日中平和友好条約は締結されたのである。
日・米・中・。露の指導者と、私は相次いでお会いした。
その間断(かんだん)なき行動の連続の中で、SGIは誕生したのである。
口先ではない。理念だけでもない。
平和を希求(ききゅう)する一人の人間として、どう具体的に行動するのか。何ができるのか。
「対話」こそ、SGIの魂――この信念のままに、私は戦ってきた。

「異体同心」の団結で勝った!
一、第2次宗門事件で日顕宗が一番初めに魔の手を伸ばした場所は、いったい、どこであったか。
それは、東京でもない。関西でもない。海外であった。
90年の12月28日。宗門が一方的に、私の法華講総講頭、秋谷会長らの大講頭を「罷免(ひめん)」した翌日のことである。
この日、日顕は、海外のSGIのリーダーに、現地の坊主を通じて“宗門につけ”と伝えてきた。
広宣流布の陣列から脱落させようと、誘いかけたのである。
御書には「大魔がとりついた者たちは、一人を教訓して退転させたときは、その一人をきっかけにして、多くの人を攻め落とすのである」(1539ページ、通解)と厳然と仰せになっている。
まったく、その通りの陰湿きわまりない卑劣な謀略であった。
しかし、この所業(しょぎょう)は、たちまち露見した。魔は、魔と見破れば、魔でなくなる。わがSGIの異体同心の団結は、微動だにしなかった。
世界広布を破壊しようとする嫉妬の陰謀は、最初から完全に失敗したのである。
そして今や、邪宗門は完全に衰亡(すいぼう)し、わが学会は、当時のl15力国・地域から、190力国・地域の大連帯へと、大発展した。
学会は、完璧に勝利したのである(大拍手)。
一、「悪逆の邪宗門と決別したからこそ、SGIは大発展した」。これは各界の識者も認める事実である。
アメリカの宗教ジャーナリストのクラーク・ストランド氏も、SGIの運動に着目し、共鳴された一人である。
氏は、こう分析され、声を寄せてくださった。
「私は、宗門による“破門”こそが、SGIの運動をより世界に広げていく転機になったとみています」
「破門以来、SGIは聖地(せいち)信仰をする必要がなくなったのです。そして、会館や個人の家庭で、御本尊に唱題することを通して、本仏の精神に直結できることを確認した。いわば、一つの大地に固定されていた巨木から種子が離れ、海を渡り、世界に広がっていったイメージを、私はもっています」
さらにまた、アメリカ・タフツ大学元宗教学部長のハワード・ハンター博士も、宗門事件に打ち勝ったSGIの“魂の独立”に心から喝采(かっさい)してくださった。
「宗門こそ、学会から離反したのみならず、信仰そのものから離れてしまったのです」
「もう一つの実証は、破門によって学会が大きな発展を遂げたことです。破門によって何も失わなかったとも言えます。むしろ、破門は、学会員の一人ひとりに仏性(ぶっしょう)という力が備わっていることを再確認する契機にもなったのではないでしょうか」
SGIは団結で勝った。正義ゆえに勝った。
「異体同心なればか(勝)ちぬ」(同1463ページ)との仰せ通りに、恐れなく団結して戦い抜いたからこそ、大勝利したのである。

(㊦に続く)

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代表協議会では、ブラジル青年部が愛唱歌「希望の歌」を熱唱した。この歌は、1万2000人が集った青年大文化総会(99年)のテーマ曲。
SGI会長は、友の真心に感謝。 「本当にありがとう! 感動しました! 素晴らしい歌です!」と讃えた。
歌詞は次の通り。
青年よ! 師は呼びかける!
正義の旗を 高らかに掲げ
尊き使命の大道を
勇気をもって 勇敢に進め と

我は後継の若人なり
我は世界市民なり
ともに すべての民衆を
大いなる理想へ結集しよう!

我は後継の若人なり
我が心に歓喜あり
我らは この歌を
全世界へ広げよう!

我は新しき歴史を 断じて創る
勝利の歌を歌いながら!

不滅の決意は
我が心に脈々と
我らは師子の子
世界の平和は
我らの熱と力で!

センセイ! 我らの時代(とき)は来れり
ヒューマニズム(人間主義)のバトンを受け継ぎ
我は勇気と希望に満ちて登りゆく
21世紀の山を!
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(2005.01.09)
2005年1月15日 聖教新聞掲載
 

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