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Home 池田名誉会長・随筆 人間世紀の光 偉大なり創価の婦人部(2) ◆37◆
人間世紀の光 偉大なり創価の婦人部(2) ◆37◆ 印刷 Eメール
2009年 7月 19日(日曜日) 11:23
母は世界の太陽
希望と正義と勝利の光
負けることを知らぬ知恵の博士よ

ささやかな生活費も底をつき、ある時は、残ったお総菜を食べながら、それでいて、すべてを笑い飛ばし、名女優のごとく、生き生きと名舞台で振る舞いゆく生活の天才、大好きな母よ!
最愛の夫を亡くしても、涙をこらえ、わが子のために、厳然と仏のごとく、菩薩のごとく立ち上がり、走り、戦う、あまりにも健気な庶民の王女よ!
苦悩の涙を払いのけながら、決然と立ち上がりゆく、まぶしいほどの母の顔!
これが、本当の人間勝利の実像だ。
強き母よ!
優しき母よ!
美しき母よ!
大好きな母よ!

毅然と新しき、また新しき一族眷属の安全勝利の道を悠々と歩みゆく名優の母よ!
そして来る日も来る日も、親しき友との連帯を強めながら、広宣流布の完成の道へと決意も爽やかに、家々の門辺を一軒また一軒と訪ね、美しい希望と栄光の未来を見つめながら、はつらつと生き抜く、おお、強き母よ!
負けることを知らぬ母!
屈することを知らぬ母!
永遠に働きをやめぬ、いじらしき、平凡にして大非凡の母よ!
若き母よ!
老いたる母よ!
この母たちにこそ、天から最高の賞を捧げたいと、ある大哲学者が謳った。
これが、私たちの母だ。
今は亡き母も!私の心の中には、生き生きと変わらぬ懐かしき母の姿がある。
王者よりも、偉い母だ。
侯爵よりも、高貴な母だ。
大博士よりも、智慧ある模範の母だ。
いかなる国の英雄よりも、栄冠輝く母だ。
母には、何の名誉もいらぬ。地位もいらぬ。
いな、政治家たちは、自分は勲章をもらうけれど、無名な母たちには何も与えてくれない。
何も欲しがらぬ母よ!
何も与えてもらおうとせぬ母よ!
慈愛のためならば、身をなげうって、正しき真実の犠牲の道さえ、深い光を見つめながら歩む母よ!
ある国の哲人が言った。
「母を苛めることは、最大の罪悪だ。
母を苦しめることは、犯罪者よりも見苦しい」
さらにまた―
「母を悲しませる者は、人間として最低である。畜生にも、鬼にも似たる奴だ」とは、有名な小説家の声であった。
あの母の笑顔!
あの母の涙!
そして、あの母の喜び!
これこそ、幸福と平和と勝利の象徴なのだ。
平凡にして無名の母は立ち上がった。
家庭の小さな城を出でて、大きな社会の荒波の真っ只中に勇んで、力強く動き始めた。法則に適った躍動の生命となって、突き進み始めたのだ。
平和のために!
幸福のために!
広宣流布のために!
母は、わが家の太陽である。いな、世界の太陽である。
いかに暗き厳しい状況になっても、母がいると笑顔の満開の光が消えることはない。
そこには、苦しい怒りの言葉もない。
家のすみずみまでが、温かく生き生きと、希望輝く城へと変貌する。
皆を喜びの空気で包んでくれる母の力よ!
そこには、贅沢な見栄の仮面をかぶった人生などは、まったくない。
「皆の生きゆく希望の感情を、静かに、そして強く、平等に調和させてくれる大指導者は、母である。父でも、兄でもなかった」と論じた著名人がいた。
あの地味な母の微笑み!
いかなる世界的名優も、かなわない。
あの母の怒り!
いかなる凄腕の検察官も、かなわない。
それは、世界一の燃えた鋼鉄のごとき母の姿である。
この母には、誰人も、いかなる地位ある人も、絶対に、かなわない。
母は、常に正統派である。
間違ったことを最も嫌う、正しい人生の模範である。
その母を大切にせず、苦しめることは、最大の親不孝であり、いかに社会的に立派そうな姿をしても、心は狐であり、狸であると、言い切った詩人がいた。
優しい花を咲かせてくれる母!
魔法のごとく、安穏な幸福を創り上げる母!
至高の喜びを与えてくれる一家の太陽である母よ!
皆の心に、「生きる花」 を、「希望の花」を、「勝利の花」を与えながら、大政治家のごとく「正義」と「義務」を教えゆく母よ!
永遠に不滅の「御書」を拝しゆく母の尊き姿よ!
幸福と平和を願いゆく、深き祈りの母の美しき姿よ!
誠実にして勇敢なる広宣流布への前進をしゆく、その母の気高き姿よ!
「仏法」の指導や「御書」の講義は、どこかの法主どもよりも立派であり、わかりやすく「勇気」と「確信」を与えてくれる不思議な母よ!
「坊主どもよ、見習え!」と言い放った学者がいた。
選挙になると―
「これは、国民の権利だ!
自分自身のより良い社会をつくるための権利だ!誰人からも、とやかく言われる必要はない」との強き正義の心は、まったく正論である。
「あの候補者には覇気がない」
「あの候補者は傲慢だ」
「あの候補者は説得力がない」
「あの候補者は感情論だ」
「あの候補者は自分のことしか考えていない」
そして―
「あの候補者は、もっと人間革命をしてもらいたい」
賑やかな批判は、朝から晩まで続いていた。
母の「社会論」「政治論」 の明快さは、驚くほどである。
そして「教育論」「平和論」等々は、どこかの党の政治家たちよりも、はるかに説得力のある理論家の母よ!政治学者の母よ!
母親の怒りに勝る、怖い叱咤はない。
夫に対する怒りも、子どもに対する叱り方も、本当に胸に刺さる。
裁判長が被告に判決を下すよりも、鋭く優しく、強く朗らかにして、深き怒りの声は、そして慈愛の叱咤は、万感の思いを全生命に与えゆくのだ。
「母よ、たまには、お手柔らかに!」と祈るような悲鳴をあげている、あるお父さんがいた。
優秀な学校の教師よりも、一段と深く強い「智慧の博士」は、母である。
さんざん、私たちを馬鹿にしたあの人たちも、今は喜んで信心している。
さんざん、私たちを悪者にしかけて、近所や友人たちに嫌みを言いふらしたあの人たちも、今は一緒に笑顔で信心している。
「私は、あんな宗教など、一生涯、やらない。死んでも信心しない」と立腹していたあの婦人も、今は深く後悔して、心から敬意を払いながら、崇高な人生の目的である信心に立ち上がった。
何百人、何千人、何十万人と!いな、何百万人と!私たちの母は勝ったのだ!痛快に勝ったのだ!
この方程式は、これからも永遠に続くこどは間違いない。

一人の母が叫んだ。
それは、「中国革命の母」といわれた宋慶齢先生の言葉である。
「連合すれば人民は局面を転換して、平和にむかうこどができます」(宋慶齢の言葉は中国研究所訳。)

(つづく)
(聖教新聞 2004.06.12 より)
 

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