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Home 池田名誉会長・随筆 「人生の道」をみつめて 池田名誉会長 トルストイを語る ④
「人生の道」をみつめて 池田名誉会長 トルストイを語る ④ 印刷 Eメール
2009年 7月 14日(火曜日) 13:38
晩年の名作「復活」の叫び ― 民衆こそ皇帝だ!
正義の言論を「教会は破門」「世界は支持」
◎迫害こそ偉人の証明◎


一、トルストイは座談の名人だった。農民とも、文人とも、子どもとも、分けへだてなく語り合った。
友人や同志は、ますます増えていった。千客万来だった。
ゴーリキーやチェーホフといった作家、芸術家はもちろん、世界から民衆運動の指導者が来た。後のチェコの哲人大統領マサリクも来た。アメリカの発明王エジソンからは蓄音機が贈られた。
朝夕の2回、乗馬で散歩に出かけるのが日課だった。冬はモスクワで、それ以外は、緑豊かなヤースナヤ・ポリャーナで過ごすことが多かった。
ロシアの画家が、63歳のトルストイとの思い出をつづっている。
――ある冬の日。
「いっしょに行ってみませんか」。トルストイが難民救援の炊き出しに誘ってくれた。雪道を馬橇(そり)で行った。
日の光はまばゆいほどだったが、気温は零下25度。トルストイは農民の家を一軒また一軒と訪ねる。炊き出しは順調か、足りないものはないか、近所の様子はどうか――報告に耳を傾けた。
トルストイは何より「実践の人」だった。
帰り道、馬橇が窪地にはまった。馬は首だけが突き出ている。自分たち胸まで雪に埋まった。通る人はいない。
トルストイは、着ていた毛皮の外套を素早く投げ出し、雪を踏み固めて馬に近づいた。巧みに馬を操り、橇を引き上げさせた。その手並みの鮮やかなこと!画家は目を見張った。
「よおし、これでできた」。トルストイは、うれしそうに笑った。
そこから先はトルストイの見事な手綱さばきで凍ったドン川の上を橇は、すべるように走って帰った。にぎやかに芸術談議を交わしながら。

50歳を前に、トルストイは人生最大の「危機」にぶつかった。
「生死とは何か」という根本問題である。
トルストイは、自分の心境をこう例えている(『懺悔』)。
――これまでの私の人生は、ボートに乗せられ、川の流れに身をまかせてきたようなものだ。
本当は、対岸を目指して、オールをこがなければいけなかったのだが、流れは早いし、目的地を忘れてしまった。私の周囲には、ただ流れのままに流され、歓声をあげつつ狂喜して下流へと運ばれていく舟人たちがいた。
ところが、下流に早瀬の轟々たる水音が聞こえてきた。瀬に乗り上げたが最後、ボートは木っ端みじんになってしまう。事実、粉々になったボートも見えた。
私は、はっと我に返った。そして、流れにさからって、ボートをこぎ出した――。
トルストイは幼少のころに、両親を亡くした。尊敬する長兄のニコライも、病気で若くして世を去った。「死」という問題は、いつも心から離れなかった。それは、絶えず一点に落ち続ける水滴のように、ひとつの黒いしみになって、心に、こびりついてしまった。
トルストイは、自分自身に問いかけた。
「私は自分の死滅するのを知っている。私は生き、そして死ぬ。私は生を愛し、死を恐れる。――いかにして私は自己を救うべきであるか?」(原久一郎訳)
日常は、せわしくなく過ぎていく。領地を管理する。息子を教育する。著作で大きな名声を得る。
「それがどうしたというのだ?」
「それがなんになるのだ?」
心の声が叫ぶ。しかし何ひとつ言い返せない。
「答えを出さなくてはいけない」
トルストイは思った。
彼は宗教・思想・哲学の探究を開始した。

民衆に救われた
一、トルストイは、思索に思索を重ねた。人に会って話を聞き、教典も精密に研究した。しかし答えは見つからない。
やがて彼は、「貧しく素朴で学識もない人々のなかで信仰をもっている人々」に近づいた。
その信仰は生活に結びついていた。なくてはならない不可欠のものだった。そうした人々は、人生の意義を自覚し、生も死も平静に受け入れていたのである。
観念だけの学者や、偽善の聖職者ではない。民衆の中に、トルストイは生きた信仰を見た。
「救いは民衆からきた」――トルストイの伝記の中で、ロマン・ロランは洞察している。
「生活と信仰を一致させている単純な人々の中に断然身を投じたのであった」(宮本正清訳)
一、創価学会にも、無数の民衆の「幸福博士」「友情博士」がいる。勇敢にして偉大なる「人間学の教授」がいる。
大学の教員が、学歴のない一婦人に大生命哲学である「教学」を教わる――草創以来、そういう麗しい光景があった。これが学会の強さであり、誇りである。
究極的には、生死の解決の道は信仰しかない。日蓮大聖人は「まず、死のことを習って、後に他のことを習うべきである」(御書・妙法尼御前御返事 1404ページ、通解)と教えられている。生死の苦を幸福へと転ずるのが信仰である。
一、幸福とは、苦難がないことではない。苦難に負けないことだ。大聖人は「心こそ大切」(御書・四条金吾殿御返事 1192ページ)と仰せである。いかなる波浪も、全部、勝利への力にして、金剛不壊の自分自身を築いていくことだ。
日寛上人は「我等、妙法の力用(りきゆう)に依って即蓮祖大聖人と顕るるなり」(当体義抄文段)と断言されている。仏と等しい力が自分の中に湧いてくる。ここに信心の極意がある。法のため、人のため、平和のために行動しながら、「生も歓喜」「死も歓喜」と永遠の幸福の道を歩んでいけるのだ。
自分が変われば、一家が変わる。職場が変わる。地域が変わる。それが世界をも変えていく。ここに、人間革命という希望の方程式がある。
一、トルストイが宗教を探究した道のりを書いた自伝的小説が『懺悔』である。手をつけたのは51歳。53歳で完成した。
『懺悔』の中で、トルストイは宣言した。
――これからは、宗教的信念に生きるのだ!
彼は、それまでの自分の人生を、きっぱりと否定した。社会的な栄養を登りつめた人間が、いわば「私は人生をやり直します!」と公言したのである。
一、『懺悔』でトルストイが言いたかったことは何か。それは自分の人生の物語だけではなかった。
彼は、民衆の中に生きた信仰を見いだした。しかし、教会の言っていることには、どうしても納得がいかなかった。
トルストイは、当時のロシア正教会に対して真っ向から戦いを挑んだ。宗教の名において暴力が振るわれ、死刑や戦争が行われてきたことを厳しく告発した。
トルストイは、聖職者の欺瞞(ぎまん)を鋭く暴(あば)き、「人間を手段にする宗教」「人間を抑圧する宗教」と決別したのである。
それは、あまりにも危険なことだった。ロシア正教会は国家権力と一体だったからである。
当時、聖職者は民衆を見くだしていた。権力にたてつく者は厳しく取り締まった。
『懺悔』は掲載予定の雑誌から検閲によって削除。後に、スイスのジュネーブで発表された。
人間のための宗教。人間の偉大さを輝かせる哲学。それは必然的に権力と対決せざるを得ない。権力側の思いのままにならない、自立した精神ほど、邪魔なものはないからだ。
トルストイは自分のノートに記している。
「信仰は、いやしくもそれが信仰である限り、その本質からいって、権力の下に服従することはあり得ない。――小鳥は生きている、そして自由に飛び立つのだ」(原久一郎訳)
トルストイの「第二の人生」は、巨大な権力との闘争だった。
一、もはやトルストイにとっての宗教とは、儀式や形式ではなく、特定の宗派を意味するものでもなかった。生きた新年の体系であり、自立した人間をつくる骨格であった。
トルストイは信じた。
――何ものにも壊されない幸福は、信仰なくしてはつかめない。人間は崇高な精神性に目覚めなければ、動物的な生き方に堕落してしまう。自分のことしか考えない人は、決して幸福にはなれない。自分のために生きようと思うなら、人のために生きることだ――。
一、ふつうなら引退するような後半生――トルストイは、いよいよ若々しく、いよいよ意気軒高だった。
正しい人生とは? 人類の進むべき道は? トルストイの探究は、さらに深まった。
その思索の結晶を、世界の人々に熱烈に説いていった。

自分の幸福を願うなら人々のために生きよ!
◇信仰者は権力にも縛られぬ王者◇


思想を行動に
一、トルストイは心に決めていた。
――これからは、民衆とともに生き、民衆のために、民衆自身の言葉で、わかりやすく書くのだ。そして、思想を行動に移すのだ!
出版社をつくり、民衆のための雑誌を出した。『イワンの馬鹿』『人は何で生きるか』など数々の民話も発表した。
再開した学校に全魂を注いだ。
近くの農民に病人が出れば、すぐ駆けつけた。医者を呼び、娘に薬を用意させた。貧乏人や孤児のために、トルストイ自身が畑を鋤(す)き、種を蒔き、刈り入れまでしたこともあったという。
彼は快活に働いた。弟子の一人が回想している。
「レフ・トルストイが我々一同に伝播(でんぱ)していたあの溌剌(はつらつ)とした、欣喜雀躍(きんきじゃくやく)たる気分を、今でも生き生きと記憶している」(原久一郎訳)
行き詰まっている仲間がいた。トルストイは、こんな話をしてあげた。
――昔、あるところに皇帝がいました。何をやっても、うまくいきません。そのことを賢者に相談すると、こう言われました。「一番大事な時と、一番大事な人と、一番大事な仕事をしらないからです」。しかし皇帝には、自分にとって、それが何だか、わかりません。すると一人の少女が言いました。「何より大切なのは、今という時です。だれよりも必要なのは、今、自分がかかわっている人です。いかなる仕事よりも尊い仕事は、今、自分がかかわっている人に善を行うことなのです」
つまり、いろいろ悩むより、かけがえのない「今」を悔いなく生きよ! 目の前にいる「一人」を救え!――トルストイは、そう教えたのである。
彼は、こんな言葉も書き残している。
「冷酷な人々は、自分の冷酷さを弁護するために、いつも忙しい忙しいと言っている」(北御門二郎訳)
一、トルストイを支援する人が集まってきた。求道の手紙が来た。
21歳のフランスの青年から一文が届いた。芸術と人生について悩み抜いた末に、魂の救いを求めていた。この無名の一青年に対して、トルストイは、じつに38ページにも及ぶ真心こもる返事を書いた。青年は感激した。その青年が後の大作家ロマン・ロランであった。
一、トルストイは飢饉の救済にも奔走した。
「私は、安閑(あんかん)と自宅に暮らして、著作に耽(ふけ)っていることができないのだ。自分のやっている仕事の完全なものでないことは分かっていますが、私は完全無欠な事を行い得ないのです。と言って何もせずにいることはなおさらできない」(原久一郎訳)
民衆の魂を奮い立たせる以外ない――これが一つの結論だった。
トルストイは確信していた。
この世界は美しく、そして楽しい。我々はこの世界を、我々と共に生きている人々のために、我々の後にこの世に生きる人々のために、より美しく、より楽しいものにすることができる。いや、そうする責務をもっているのだ!

2002年12月21日 聖教新聞掲載
最終更新 2009年 7月 14日(火曜日) 14:01
 

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